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      【お店の紹介】
          私たちは、“元気・笑顔・親切”をモットーにして、日々職務に励んでおります。明るく
はきはきした応対で、お店中に元気のオーラを張りめぐらすこと。
  心からの笑顔は、誰でも素敵な笑顔になるはずです。あの店に行くと、思わず笑顔に
なってしまう、どうしてこんなウキウキした気分になるのだろう、そう思っていただけるよう
に、笑顔の粒子を大地堂の隅々までちりばめてお迎えします。
  本のプロとして、しっかりとした商品知識を持ち、あやふやな本を調べたり選書の
お手伝いをさせていただきます。ご遠慮なくお申し付け下さい。私たちは『親切』を
モットーにしています。お客様の「お問い合わせ」というご協力あっての親切です。
  私たちの幸せの方程式は、「お客様に笑顔でお買い物をしていただく」です。
   
    【会社概要】
       
会社名   有限会社 大地堂
店舗名   大地堂
店舗所在地   茨城県潮来市永山777 
         ショッピングプラザララルー内
電話番号   0299−80−3555
FAX番号   0299−64−5222
取扱品目   書籍・雑誌・文具・ファンシー雑貨・印鑑・切手・はがき・印紙
 
    【大地堂と社長のあゆみ】
      昭和60年  都内の書店に勤務する私(茂木克雄)は、孫(一歳)と一緒に住みたい実家の両親と、いつの日か独立することを信じて夫の書店勤務をバックアップした妻の後押しのもと、独立開業を決意する。  
   
      昭和60年  勤務先の都内葛飾区・第一書林の大熊社長に「おら〜、田舎に帰って開業するだ」と宣言。さっそく第一書林取引先の(株)東京出版販売《現(株)トーハン》に大熊社長に同行してもらい取引の依頼をする。後日、トーハン市場開発担当者が出店予定地の商圏調査をするが、店舗予定地の周囲が田圃だらけなこともあり、取引条件の月商300万円をはるかに下回る200万円以下の売り上げ予測だった。
  「経験者という事もあり、頑張れば240〜250万円の売り上げにはなるでしょう。私の方は300万円の予測で会社に出しておきます」と、ありがたいような悲しいようなお言葉をいただきました。250万の売り上げだと粗利で50万、諸経費は通常で売り上げの50%なので25万。残りの25万が夫婦二人の所得になります。これは、夫婦共働きと考えた場合、当時でも低い金額です。でも、いまさら後には引けない、という感情だけで、GOでした。
 
   
      昭和61年 3月3日に資本金1000万円で会社設立  
      昭和61年 4月16日にトーハン紹介のテック電子東京支店の課長さんがレジスターの設定のため潮来にお見えになりました。そして現場の状況を見て絶句!!こんな大自然に恵まれた環境では、とても売れないと思ったのでしょうね。「大変でしょうけど、くじけずに頑張ってください」と最後に慰めのお言葉を頂戴しました。
  オープン前日の夢と希望に満ちた経営者にかける言葉じゃないですよね。前途がとても暗いものに思えたことを思い出します。
 
   
      昭和61年

4月17日に開業
(店舗所在地:茨城県行方郡潮来町延方乙2808-10 潮来高校通学路沿い)
祝儀買いが多数を占め、売り上げは20万を超えました。この記録はその後しばらく抜かれることがありませんでした。

 
   
      昭和61年 4月後半のある日、午前10時オープンで、午後3時までの売上点検の結果が3,000円代。あまりの金額に暗澹とする現社長に対して、その意味するところをよく理解しない妻は、平穏な日々を過ごしていた(様な気がします)。オープン数日後から売り上げは、3・4万円代で落ち着きました。予測以上の低い売上高です。  
   
      昭和61年  当時は、新規オープンの店舗には、出版社が6カ月等の長期委託で商品を供給してくれました。委託期限が過ぎても店頭の基本在庫なので返品するわけにはいきません。支払期日が先延ばしになるメリットがあるだけです。年末にそれらの商品の支払期日がやってきました。が、会社にお金がない。最後の砦に残っていた個人の貯蓄もここで底をつきました。  
   
      昭和62年  からっけつの状態で迎えた正月ですが、意外にも気分は晴天でした。売上が徐々に上向いてきていたからです。これならやっていけるという確かな手ごたえを感じていたからでしょう。海でおぼれた人が救助されたようなものでしょうか。気分は「これで助かった」です。  
   
      昭和62年  7月のある日、管轄の潮来税務署よりTEL有り。「申告時期ですが、前年度の申告がまだなされていません。」
   当社の決算期は5月です。オープンしてすぐ、決算期を迎えます。実は、忘れていたわけではありません。どうしていいかわからなかっただけです。
   妻は高校を卒業して、電電公社(現NTT)に就職し、書店開業まで電話の交換手をしていました。現場は、経験のある私がやる。とすれば経理は、「妻よ、お前がやれ」と自分勝手なへ理屈で押し付けようとしたのですが、当然「できない」の言葉が返ってきます。「やれ」「できない」を繰り返しているうちに、すぐに決算期で、すぐに申告月の7月が通り過ぎ、暑い夏を経て秋になる頃には、「やれ」「できない」の繰り返しにもアキが来て、ふと気がつけば、税務署からは何も言ってきません。なんだ税務署っていい加減だな、と自分のいい加減さに蓋をして、気にしながらもそのままの状態で、1年が過ぎてしまいました。
   税務署の担当者の「早く出して下さい」の言葉に、私の返答は、「何をどうすればいいのか、さっぱりわからない。」というような内容のことを申し上げたと記憶しています。「出して下さい」に対して「できない」の返事ですから、箸にも棒にもかからないと思ったのか、その担当者様は、「今から、行く」とのお言葉。あいにく潮来税務署は目と鼻の先です。あらわれた担当者様は、よくご利用いただいているお客さまでした。もしかして、店内での「やれ」「できない」のやり取りも聞かれていたかもしれません。もしそうだとしたら、「この二人、大丈夫かな」とご心配いただいていたことでしょう。現場の経験のある私ですから、営業日報も毎日つけています。当然年度末には棚卸をすることも知っていますし、現に棚卸も2年続けて実行しています。ただ、そこから先が解らない。申告に必要な基礎資料が一応は存在することを確認して、ついでに私の能力も確認したのでしょう、「税理士さんに頼んでください」の一言。それがベストだという事もわかってはいたのですが、だって、お金がなかったんだもん。少ない開店資金で始めたので、持っていた資金よりも、在庫金額の方がはるかに高いことは分かっていました。確か、このときの妻の役員報酬は、4万円です。フルタイムですよ。私は一応、それよりも高く高卒初任給程度。最終的に支払いをすべて完了するのに、300万不足するとしたら、あるべき給料が300万少なければ良いわけですよね。いずれにしろ、開業して1年を過ぎ、支払い関係も落ち着いてきて、残高も少しだけ月末に残るようになってきていたので、近所の税理士さんにお願いすることにしました。さすがプロ。早いですね、申告期限の7月末には、ちゃんと2期分の申告を出すことができました。平成20年の7月末が23期目の決算申告時期でしたが、3期目よりちゃんと期限内の申告を実施しています。もちろん、こんな私ですから、ギリギリにですけど。飯嶋会計事務所様、いつも資料の提出が遅くてごめんなさい。感謝してます。ついででごめんなさい、ホームページ作成をお願いしている()ピュアメイト様、決算と同じで1年先送りになってしまいました、もうすぐこの原稿お送りできそうです。担当の小川様の堪忍袋の大きさに感謝してます。
 
   
      平成8年  その後、売り上げは順調に推移し売り場面積25坪の店舗で1億円以上の年商を達成しましたが、気がつけばバブル崩壊後の平成不況に突入。田圃ばかりだったわが大地堂の周りにもいろいろなお店が出来、また関東を中心に出店しているチェーンの某書店やショッピングセンターの開店、またコンビニの出店(現在では、一番近かった4店舗がすでに閉店)もあり、売り上げは下降線をたどり始めました。お店も家族労働から、スタッフ数名を擁するようになり、無理のきかない体制になっていました。資金繰りも悪化してきて、今後に不安を抱き始めていた時に、潮来のショッピングセンター(アイモア)の開店により、大打撃を受けていた牛堀町(現在は潮来市)と潮来町の有志の皆さんがショッピングセンター設立を計画していましたが、当店のお客様も計画に加わっていたこともあり、また、書店が決まっていなかったこともあり、声をかけていただき参加することを決心しました。後でわかったことですが、金銭的負担や、見通しが立たない状況もありで、入ってくる仲間がいても、辞めていく仲間もいるで、なかなか店舗が埋まらず苦労する状況が続いていました。ちなみに、オープンまでこの状況は変わりませんでした。
  そこで早速、社長にショッピングセンターに店を出すと宣言しました。30過ぎまで地元にいなかったこともあり、ここは多少は地元に顔の利くだろうと思える父に名前だけの社長になってもらいました。名前だけとはいえ、土地と店舗物件は、父の個人所有です。開業に際して、父のしてくれた精一杯の強力です。その恩に報いるためにも、家賃と役員報酬は、経営が安定してきた開店3年目ぐらいから、少ないながらも受け取ってもらっていました。たぶん、父に対して恩は返しているぞ、という気持ちでいたような気がします。
  さて、正式名称・牛堀ショッピングセンター設立準備組合に加入するにあたって200万近くのお金が必要でした。そのほかに月々コンサルタントに支払うお金や事務所の維持管理費等がかかります。売上が低迷しているだけに大変だなと思っていたところ、父が一冊の預金通帳を私に渡して、「これは、お前からもらっていた家賃と給料を積んでおいた通帳だ、ゼニをおめえから貰うつもりは最初っからないから、丸々残っている、好きに使え」 泣かせるよね。実際には涙は出なかったけど。このご恩はいつか必ずお返しします、とは口に出さなかったけど、心の中で言わせてもらいました。振り返って今、娘に(一人っ子です)何かしてあげられるだろうかと思うと、父のしてくれたことはやはり立派。
 
   
      平成10年  すでに、組合も「牛堀ショッピングセンター協同組合」となり法人化し、「準備」の文字も消えるところまで、進んでいました。が、オープンできるかどうかはまだ霧の中の状態でした。
  7月12日は、隣家でお庚申様と呼ぶ集まりがあり、父が出席していましたが、気分が悪いので途中で帰ってきたそうです。どうも様子がおかしいので、母と妻が病院に行くことを勧めたそうですが、夜でもあり父は明日の朝行くからと固辞したようです。私は、午後10時まで店が営業、それから閉店作業をします。その後そのまま友人と食事も兼ねて飲みに行ってしまいました。
 
           
        ※ この続きは、現在作成中です。  
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